球心

~信じて疑わず~

大阪府立農芸高校 硬式野球部

平成25年度 卒業記念誌 *抜粋

 

 副主将 遊撃手 N.M (進学:東京農業大学 オホーツク校)


 私はこの農芸高校で野球部に入部できて良かったと思っている。実は、私は高校で野球部に入部したくないと思っていた。でも、親のすすめや友人たちの誘いもあり、結局入部することになった。小学校、中学校共に野球をやっていて、中々上手くいかずに失敗ばかりだったから、高校でも上手くいかないだろうと思っていた。入部して初めて使う硬式球はなかなか手に馴染まず、投げるコツを掴むのに時間がかかった。先輩たちは全員三年生で、入部してすぐに春季大会を観戦した。結果は負けてしまったが、そこからが新しいスタートとなった。夏の大会までに私は何度かポジションが変わった。小・中学生のときは外野しかやったことが無かったのに、夏の大会ではセカンドを守ることになった。試合で何度かミスをしてしまったけど、先輩方にフォローしてもらい三回戦まで進むことができた。

 夏の大会が終わり、また新しいスタートをむかえた。今度は先輩たちがいなくなり、一年生だけのチームになった。一年生チームのキャプテンには硬式野球経験者の道利が務めることになった。しかし、新チームになってからは正直ひどいものだった。試合のほとんどがコールド負け、勝った試合は数えるほどしかなかった。

 そして時は過ぎ、新たな春を迎えた。出会いの春に新入部員が三人入部してくれた。二年の夏の大会は人工芝の南港中央球場で行われた。結果は惨敗に終わってしまった。そして私たちにとって高校野球最後の一年が始まったのである。それから、私はショートを守り、他の人も何度かポジションが変わった。冬に入る直前に全員のポジションが定着した。そして厳しい冬、去年の冬は体力強化に重点を置いた練習だったが、この年は打力アップを目標に鳥かごやティーバッティング、素振り等をかなりの数をこなした。そして向かえた春の大会、押したり押されたりの試合で敗れたが今までに無い手ごたえだった。

 新入部員を加え11名で最後の夏の大会を迎えることになった。私は一番・ショート、正直最後の大会は不安と緊張で押しつぶされそうだった。でも、やれるだけのことやり、自分の全てを出しつくすんだと思いグランドに立った。その時のグランドは40℃前後あったらしいが、私は暑さを感じなかった。皆でこの試合に勝ち、一日でも長く野球を続けたいという思いがあったからだろう。そして、一回戦は見事に勝利することが出来た。二回戦では負けてしまい、悔しかったが後悔はない。皆で全力でぶつかった結果だからだ。厳しい練習をして、たくさんの試合に出てみんなで様々な思い出を作ることができた。私はあの最後の大会と皆で作ったかけがえのない思い出を一生忘れることはないだろう。苦しい時や辛い時はあの時を思い出し、乗り越えていこうと思う。

 

   副主将    捕手 R.K (進学:四天王寺大学)

 私は部員第一号として農芸野球部に入部しました。一年生の頃は先輩方がすごく優しくして頂いて、毎日が楽しく放課後の練習が楽しみでした。中学校の野球部を引退してからは、遊び程度しかやっていなかった野球を久々にやったせいかわかりませんが、とにかく楽しかったです。

 しかし、三年生の先輩方しかいなかったので、先輩と一緒に野球をする楽しい時間はそう長くはありませんでした。そして、先輩方は最後の夏が近づくと一段と気合が入り、すごく中身の詰まった練習をしていました。一回戦はコールド勝ち、正直驚きました。こんなにも自分たちは成長したのかと思うと、すごく嬉しかったです。二回戦はすごい打ち合いで今思い出してもあの試合はすごかった。三回戦は強豪私学との試合でした。相手チームはグランドに入る前に土下座をしてから入っていました。私はそれを見た瞬間に少し気持ちで負けていたのだと思います。やはり何をするにも片山監督から教わった『攻めて、攻めて、攻め切る』ことが大事だと今になって思いました。そして、結果は7回コールドで負けてしまいました。ですが、先輩方は三十七年ぶりの三回戦進出という大記録を残しました。そして、私たちの目標にもなり、私はその日に副キャプテンになりました。

 それからの練習は、すごく厳しくなったような気がします。気のせいかも知れませんが、すごく辛かったです。特に真夏の終わらないノックは地獄でした。野球部で集まると大体この話で盛り上がります。あの時は本当に辛かったですが、今思えば楽しかったまではいきませんが、やって良かったなと思えます。他にもやって良かったと思えたことが沢山ありました。それは○○でやらせて頂いた練習です。この時は本当に手が血まみれになるまでバットを振りました。こんなにバットを振ったのは初めてだと思うメニューでした。千本バットを振り、やっと終わったと思うと次はランメニューが待っていました。そして、その日の練習が終わると全身フラフラでしたが、ものすごい達成感を得られることが出来ました。そして、こんなすごいメニューを毎日こなしてきた○○さんは本当にすごいと尊敬しました。自分もいつかこんなすごいスウィングをしてみたいと思いました。

 そして、最後の大会前になると初めはコールド負けばかりだった私たちも、苦しい練習やみんなの努力が実り、だんだんと野球らしい試合ができるようになりました。

そして最後の夏を迎えました。

 公式戦で一つも勝ったことが無かったので、何としても何が何でもという気持ちで挑みました。その気持ちは野球部員みんな同じでした。そして結果は見事に勝つことができました。勝つのはこんなに気持ちがいいのか、また次も勝ちたいと心の底から思えた一瞬でした。二回戦は強豪私学ではありませんでしたが、きっちりとした野球をする公立高校だと聞きました。そして相手校について勉強しました。一人ひとりのバッターの特徴や、守備などを分析し全て野球ノートに書き写してシュミレーションしました。しかし、結果は良い結果には向きませんでした。もしかすると、心のどこかで一勝したことで満足していたのかも知れません。ですが、引退して思えることは、本当に野球部で良かったと思います。これからも感謝の気持ちを忘れず、常に攻めていけるような人間になりたいです。今までありがとうございました。

      左翼手 T.K (就職 : 株式会社Kei's)

 自分が野球を始めたいと思ったきっかけは、純粋に野球に憧れがあったからです。中学三年の時に先生に「野球はいつからでも出来る。」と言われ、その時からキャッチボールを始めるようになりました。その先生にはミットを探してもらったりとてもお世話になりました。そして、農芸野球部を見学に行ったときに片山監督の話を聞いて、真面目な部活なんだと感じました。そして入部し、自分は高校球児になりました。入部後は主にキャッチボールをしていたけど、今まで野球をしていた部員との差は痛いほど感じました。でも、監督や先生、先輩方が丁寧に教えてくれてなんとかついていけるようになりました。途中で中島が入部し、初心者は二人になりました。ノックにも入れてもらえるよになり、大きな声を出すことで練習が盛り上がり、たのしくなってきました。この時から、チームで一番大きな声を出す選手になろうと決意しました。自分には尊敬する先輩がいます。畑中さんです。畑中さんも初心者で二年の冬から入部されたと聞きました。技術も体力も他の先輩方より劣るかも知れないけど、いつも元気で一所懸命に練習に喰らい付いていました。ミスをしても誰も畑中さんを責めないのはその姿を知っているからだと思います。そんな畑中さんのような選手になろうと思ったのです。

 そして先輩方との最初で最後の夏大会を迎えました。試合中はベンチの中で倒れそうになりながら監督の横について応援し続けました。先輩方の快進撃が続き新聞にも取り上げて頂きました。高校野球はこんなにも注目されるスポーツなんだと思いました。 新チームになり、自分はリーダーに指名されましたが何をするのか判らずに戸惑いました。しかし、「チームを明るくしろ!」と言われ自分にはピッタリの役だと感じました。

 新チームになってからは負け続け、厳しい練習が続きました。正直、心が折れそうでした。しかし、この時の部員数は九人で一人でもいなくなれば試合ができないという責任があり、それを全員が感じていたと思います。後輩が入部し、ポジション争いが激しくなりました。後輩にも初心者が多く、レベルは変わりませんでしたが秋になると後輩たちが上手になっていき、自分は取り残されていきました。この時から自分に自信が無くなり、声すらも出せなくなっていました。三年の春大会は一度も試合に出ず悔しい思いをしました。春が終わると時間が過ぎるのがとても早く感じました。

何をしても出来なくて、怒られて、怒鳴られて、正直もういやだとまで思いました。それでも厳しい言葉をかけられても続けたのは、もうすぐ終わりというのもあったけど、一番は親に頑張っている姿を見て欲しかったからです。

 最後の夏大会の初戦で念願の初勝利を挙げました。この一勝は僕たちの一番の目標でした。たまらなく嬉しかった。二回戦は全力でぶつかり、ノックから勢いに乗れていました。試合でも自分がひとつ捕球するだけでチームが大きく盛り上がれました。全員が全力を出し戦い抜けました。結果は敗退してしまったけれど、三年間で一番泣いた瞬間でした。自分が野球から学んだことは、『努力は必ず報われる。』ということです。自分は一生の仲間と一生の思い出をくれた野球に感謝しています。また、そんな野球に導いてくれた先生、素人だった自分を一から面倒を見てくれた片山監督と友田先生、そして、支えてくれた親や全ての人に感謝しています。

 自分はこれらの気持ちを心に、これからの人生も全力で突っ走ります。最後に打てなかったヒットが打てる日を信じて・・・

 三塁手 R.N (進学:プール学院大学)

 

僕は、高校に入って野球をするとは考えてもいませんでした。農芸に入学した理由も、牛部に憧れて牛の飼育をしたいと思っていたからです。でも、同期の河野に誘われて野球部の体験に行き続けました。すると、、野球への興味・関心を持ち始めて入部することに決めました。野球は遊びやテレビで見る程度だったので最初は不安だらけでした。

しかし、三年間での野球生活で学んだことはたくさんありました。

 一つ目は、仲間の大切さ。僕は練習でのノックや試合でミスをしてしまうと、ふて腐れる態度をとってチームの士気を落としてしまうことがたくさんありました。そんな時でも、三年間楽しい時も辛い時も一緒に乗り越えたチームメイトが支えてくれました。なので、僕が成長できたのもチームメイトのおかげです。

二つ目は、感謝することの大切さ。二年半の間にお世話になった監督、先生、マネージャーにはとても感謝しています。監督には、一から野球について指導してもらい、野球以外にも社会に役立つことについても指導してもらいました。マネージャーには色々と迷惑をかけてしまったこともあります。しかし、僕たちを見捨てずに最後まで支えてくれたことに感謝です。

でも、一番に感謝しないといけないのは親です。野球を出来る環境をつくってくれたり、影ながら応援してくれたことは自分にとって一番感謝することです。その他にも、最後の大会前のP科からの応援色紙、当日わざわざ応援に来てくれた友達や一般の方。それをグランドで見て、農芸野球部はこんなにもみんなに支えられていたことを改めて実感しました。学んだことや思い出は書ききれないほどあります。

一年の秋にコールド負け(20対2)からスタートしたチームが、ここまで成長できた。一勝までの道は長かったけれど、監督、先生、部員、マネージャーと戦えて最後には同じ涙を流せたことが何よりも最高の思い出です。本当に辛いことも多かったけれど、二年半の間、野球と向き合えたことで自分も成長できました。そして、充実した高校生活を送ることが出来ました。ありがとうございました。